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「明日ありと思う心のあだ桜 夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは」
これは親鸞聖人の幼少期、9歳で出家得度して比叡山に入山されるとき、桜が満開の季節に青蓮院というお寺で得度を受けることになり、遅く寺に着いたので、得度式は明日にしようとなったときに読んだ歌といわれています。
「明日ありと思う心のあだ桜」
明日を待っていると夜中に嵐が吹いて、桜が散ってしまうかもしれない、この世は無常だから、明日があるという保障はどこにも無いですよ、という意味です。
親鸞聖人は、今から800年ほど前、平安時代末期の1173(承安3)年、京都の日野で誕生されたといいます。平安貴族の時代から鎌倉武士の時代へと、権力が移り変わる動乱の時代です。世の中は、源平の合戦、大飢饉、疫病蔓延、大地震、火災など勃発してすさまじい乱れようでした。
京都市内だけでも死者4万人を超えたといわれます。鴨長明はその様子を「方丈記」に、「築地のつら 道のほとりに 飢え死ぬるもののたぐい 数も知らず。 取り捨つるわざも知らねば くさき香世界に満ち満ちて 変わりゆくかたちありさま 目も当てられぬ事多かり。 いわんや 河原などには 馬・車の行き交う道だになし」と書いています。
満9歳で比叡山延暦寺での生活が始まりました。その後20年間にわたって、仏教を学ぶには最も相応しい最高の環境の比叡山で、厳しく真剣に、もの凄い努力をされました。
このページは書きかけです。2010.11.12 |
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