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始まりの無い はじめから、終わりの無い 終わりの中で、いま、ここに存在する私のイメージ
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以前から「人」のイメージを考えながら、整理できずにきましたが、「唯識論入門講座」著者:横山紘一、発行:大法輪閣の中に、この図(若干の加工)がありました。
「本とDVDで考える本当の生き方」というサブタイトルどおり、難しい「唯識」をわかり易く解説した本です。なぜ生きるのかや仏教を真剣に学ばれる方は、ぜひ、買って読まれることをお勧めします。
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依他起性(えたきしょう)
私たちは、生まれたその時から、他によって生かされている存在です。息を吸うことも血液が流れることも、私が意識して動かしているのではなく、勝手に動いてくれます。何気なく見ている景色も、自分が見ようと思わなくても見えています。
「唯識入門講座」のなかで、横山さんは次のように書いています。
上の図は、「『自分』という存在を真ん中の丸で囲って描いていますが、その『自分』が、いま・ここにこうして存在するためには、どれほどの自分以外の『他の力』が、すなわち縁が原因となって関与してきたか、また、いま関与しているかを図にしたものです。
まず、縦の線は、時間の経過の中での因果を表したものです。36億年前に地球に生じた一滴の根源的いのちから、ないし類人・原人・旧人・新人と発達し、近くは両親に至り、その両親の精子と卵子との結合によって自分の存在がはじまり、そして出生し、成長し、さらに環境・教育などの影響を受けて、いま・ここに『自分』が存在するのです。
また、遺伝子の面から見ますと、私は両親から生まれ、その両親はまたそれぞれの両親から生まれ、---とさかのぼっていきますと、もう無量無数の祖先と関係し、したがって私の染色体の中にある遺伝子は無量無数の生命の遺伝子とのかかわりによって形成されたことになります。
次に、時間を止めて横の線の因果を考えて見ましょう。まず右の線についてですが、私の身体は60兆の細胞から形成されています。そして、その数多くの細胞からこれまた数多くの器官・筋肉・神経などによって身体は構成され、維持されています。
次に左の線をさかのぼっていくと、いまこの部屋にいることができるのはこの床があるからであり、この床はさらに建物、大地、地球に、さらに地球は太陽に、太陽は別の天体に支えられています。このように因果の鎖をどんどんさかのぼっていくと、この『自分』は宇宙の果てとも関係していることがわかります。
この図に意識を凝らしてみましょう。このように見ていくと、『自分』以外のもう無量無数の縁によって生きている、否、生かされてあるということに気づくとき、では、『自分』というものは一体なにか、自分という『もの』が本当にあるのかと問い直してみましょう。すると真ん中に円で描かれている『自分』という言葉で語られた『もの』は消えてしまいます。そこを、仏教は縁起の故に無我であると言い、<唯識>は依他起(えたき)の故に無我であると説くのです。
<唯識>は、『縁起』、すなわち『縁によって起こる』という表現を、『依他起(えたき)』、すなわち『他に依って起こる』と言い換えました。」
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