快適人生って何だろうと考えたとき、まず思いつくのは健康とか若さ、ステキな家族や友だち、満足できる仕事、家やお金などでしょう。ホリスティック(Holistic)という言葉があります。ホリスティックとは、全体、関連、つながり、バランスといった意味を包含した言葉で、人間の生を、「いのちの営み」として、ありのまま全体を見つめ、限界や欠如も含めて、まるごと尊重する姿勢がホリスティックです。 健康や癒しは、身体だけでなく目に見えない精神・ 霊性も含めた、人間の全体性と深い関係があります。
したがって、ホリスティックな健康とは、病気でない状態が健康であるという否定的な見方や、血液や細胞検査の結果が正常値内であれば健康であるという消極的な定義ではありません。ホリスティックな健康とは、精神と身体、環境がほどよく調和し、与えられた条件において、最良のクオリティ・オブ・ライフを得ている状態を健康と考える、より積極的な状態をいいます。ホリスティック医療とは、人間を、体・心・気・霊性等の有機的統合体ととらえ、社会・自然・宇宙との調和にもとづく包括的、全体的な健康観に立脚したものであるといいます。(参考:日本ホリスティック医学協会解説)
ところで私ごとですが、最初、たった一人で始めた事業が、人生賭けて仕事をするいい仲間と、ステキなお客さまに恵まれたお陰さまで、創業から8年目には売上100億円近い事業規模まで成長しました。マスコミからも、「東京で一番のリフォーム会社」といわれるようになりました。そうなると、もっと勉強するから、もっと本気で経営できて、もっと多くの新入社員や取引先、お客様とも出会うことができました。
そうして本気でやっていた平成20年12月6日、私の心の支えであり、私の一番の宝物だったかみさんが、急性心不全で突然私の前から姿を消してしまいました。それから1年半ちょっと経った平成22年7月31日、会社経営も安定成長軌道にのっていたので、私は後進に経営を託して辞任しました。
「資本主義の落とし子」と自負し、会社一筋だった男が大好きな会社を辞め、「64才になった私は、これから何をするのか?」、私に課せられた「人間としての使命は何なのか?」 あちこち訪ね、人に会い、本を読んで懸命に考えました。
そんな折、かねて済生会宇都宮病院で検査していたものが、会社を辞めた1ヵ月後にがんと判明しました。
がんの摘出手術で9月末から半月ほど入院しました。この入院期間を通して、私の主治医や他のお医者さん、看護師さんも一生懸命手当をしてくれ、私の回復を願ってることを感じました。病院は手術で私のがんを取ってくれましたが、体だけ手当てしているのでなく、私の不安な心まで癒してくれるのを実感しました。この入院期間中に整理したのが右上の概念図、人間まるごと快適=ホリスティックでした。
会社を辞め、これから先、私に課せられた使命に思いをめぐらせていたちょうどいいときに、ちょうどいい程度の病気になって、ちょうどいい病院に入院したことは、私にとって貴重な体験であり、大変ありがたいことでした。これまでの、「自分ひとりで生きている」 「私のいのち」と思っていたことが、「生かされているいのち」であり、大切な人生の目的がおぼろげながら見えてきました。
できわくことは全て、「わがはからいにあらず」を実感しました。貴重な体験に心から感謝です。
後日談(平成24年 秋)
「資本主義の落し子」を自負していた私に、「仏とも法とも思わなかった」私に、かみさんは命賭けて仏法の大切さ、ご縁を届けてくれました。そのお陰さまで、親鸞聖人に・南無阿弥陀仏に・浄土真宗に 出遇うことができました。南無阿弥陀仏に出遇えて間もなく4年になりますが、その間、聴聞を重ね、本もいっぱい読んで、体系的に仏教を学びたくなり浄土真宗本願寺派の中央仏教学院にも入学しました。
そして、まだまだではあるものの、無限の過去から生死流転をくり返している迷いの私ではありますが、「人生の芯柱」に触れた感じがいたします。
そんなこともあって、私自身が深く親鸞聖人の・南無阿弥陀仏のおこころを学びながら、私の身の丈に合ったやり方で、まわりの方にも南無阿弥陀仏のご縁をお届けしていたところ、何どもお話をさせていただく皆さまの中に、数年前ご主人を亡くされた方がおりました。その方と話しているうちに、私の亡くなったかみさんにとっても似ているもの、心の安らぎを感じるようになり、年が明けたら結婚することになりました。
親鸞聖人はそのご著書「教行信証」で、お念仏の人に備わる「現生十種の利益」を教えて下さいました。亡くなったかみさんの、その実家である石川県の義母・義姉の、仏縁を届けていただく皆さまの、温かいおこころに日々感謝です。 釋靜文 釋温慎 釋正真
人間まるごと万歳!
健康に必要な条件は次の三つです。
1.最初は食事です。
日本では飽食(ほうしょく)の時代といわれ、食べられる食品を年間2千万トンも廃棄しているといいます。昔から「腹八分目で医者いらず、腹六分目で老い知らず」といいますが、食べ過ぎて病気になる人が多いといわれます。体にいいものを適当な分量で、規則正しく食べることが必要です。
2.二つ目は体力と年齢に応じた適度な運動です。
真剣に仏法を追求したお坊さんが長命なのは、毎日の読経(どきょう)で自然に腹式呼吸をして、諸堂を参拝することで自然にウォーキングをしているからともいわれます。
3.三つ目は心の持ち方です。
感謝の心、敬いの心、寛容な心といった、明るい心で生活している人は良いホルモンが分泌して健康増進になります。
一方、愚痴の心、怒りの心、嫉妬(しっと)の心など、暗い心は体内から毒素がでて健康を害し、命を縮めることになります。
会社一途で働いてきた男は、定年退職してしばらくすると家庭内で居場所もなくなり、孤独感から寂しくなる人が多くいます。できるだけ家族に感謝の言葉をかけること、友達を持つことが大切で、心の充実感は感謝するところにあります。
周りを見回すと感謝することがいっぱいあります。
奥さんが作ってくれた料理でも、お茶でも、歩けることでも、話して意思を伝えられることでも、それが当然で慣れっこになっていませんか? ちょっとしたことでも、感謝の言葉を声に出していう練習から始めてみましょう。
やり続けると、気づいたら人間まるごと万歳!の快適人生になっていますよ。
人間まるごと万歳!
オギャと生まれたばかりの赤ちゃんでも、元気いっぱい飛び跳ねる子供でも、人間は全員「死のキャリア」です。がん細胞があってもエイズのキャリアでも、発症しない人がいます。しかし、人間は例外なく、誰でも死の発症率は100%です。それなのに、私たちは必要以上に病気や死を恐れタブー視してきました。
体の健康や若さを保つ努力も必要でしょうし、適度な自慢話もほほえましいものがありますが、過去を追っても帰ってきませんし、将来を憂いてもまだ至っていません。
人生の円熟期に入ったら、生まれてこのかた身につけた知識や経験を生かしながら、年齢や状況に応じて自分の今の現実を正しく見つめ、努力して生きるところに、自分なりに納得できる人生が開けてくるのでしょう。
人生の円熟期にさしかかったら、老いに向かう「向老期」であることを認識し、何歳になっても「今」を懸命に生きる努力をすれば、老いを超え、病を超えて、楽しく生きていく道が広がります。
花あかりは、素晴らしい人生、どう生きるのかということに加え、なぜ生きるのかという人生の目的も一緒に学ぶためのサイトです。
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陽が海に没するように美しく |
ただ不思議を信ぜさせたまひ候ひぬるうへは、わづらはしきはからひあるべからず候ふ。
本願を信じ念仏申さば仏になる (親鸞聖人)
死は人生の終末ではない、生涯の完成である(マルティン・ルター 宗教改革者ドイツ)
人は必ず死ぬということを知らなければ、生きていることも実感できない(ハイデッガー 哲学者ドイツ)
いかに死ぬかを教えられる人は、いかに生きるかも教えられる(モンテーニュ モラリスト フランス) |
人間まるごと万歳!
日本で一番ノーベル賞に近い男といわれ、高血圧の黒幕である酵素レニンの遺伝子解読に世界で始めて成功した、筑波大学名誉教授の村上和雄さんは、著書「愛が遺伝子スイッチON」の中で、次のように話しています。
「笑い」「喜び」「感動」「感謝」そして「愛」と「祈り」
生命科学分野の研究は目覚しい勢いで進歩しており、2000年6月にはヒト遺伝子の配列がほぼ解明されました。遺伝子の大切な働きの一つは、その遺伝子が親から子へ、子から孫へと伝達することですが、他の遺伝子スイッチは外部環境からの物理的・化学的な刺激によって入ったり切れたりすることがわかっています。
私は1997年に、精神的ストレスによっても遺伝子のオン・オフが調整されていることを確信し、仮説として発表しました。97年当時には、私の仮説を裏づけるデータはほとんどありませんでした。しかし、後になって電気ショックや拘束、試験などのストレスが遺伝子のスイッチオン・オフに影響するという報告が次々と発表されたのです。
こうしたことから、私は「笑い」「喜び」「感動」「感謝」などの良いストレスによっても遺伝子の働き(オン・オフ)が変わると考えました。
遺伝子のスイッチは、知識の働きでは作動しません。やはり感情の働き、「感動」がスイッチをオンにしたり、オフにしたりするのです。面白い、可笑しい、悲しい、好きだ、嫌いだ、そのような感情こそが大切なのです。
大きな声で泣くと、なぜかスッキリした気分になります。ときには悔しさに泣き明かした翌朝、気持ちが収まったなどということもあるでしょう。これも泣くことでスイッチがオンになるからではないかと思われます。
つまり、感情的に豊かな人ほど、遺伝子のスイッチが敏感だということになります。
さらに面白いことに、かなり多くの遺伝子が働かないで眠っているということもわかっています。その眠れる遺伝子が、さまざまな刺激によって目を覚ますメカニズムが解明されています。
医学の限界をスピリチュアルが破る!
西洋医学が優秀なのは、データがあるからです。西洋医学は診断には大変有効ですが、根本的に病気を完治させることは極めて難しいのです。
最近ではようやく医学の現場で漢方薬も使われ始めました。がんに気功などを取り入れている医療機関もあります。これらを見ても、いまや医療の現場で本当に必要なのは、スピリチュアルだと私は考えます。その一つが「笑い」や「喜び」であり、「許し」です。
人間まるごと万歳!
東京大学医学部第三外科などを経て、川越市に帯津三敬病院を開設し、院長をしている帯津良一さんは、直木賞作家の五木寛之さんと、平成の養生訓「健康問答」という著書の中で、次のように語っています。
医学がその対象を、身体から命へと転換し始めたのである。
医学だけではない、養生もしかりである。これまでの養生は、身体が対象であった。しかも、死を持って終わりである。
これからの養生はちがう。日々命の場のエネルギーを高めつづけ、死ぬ日を最高に持っていくのだ。積極的に攻めの養生である。しかも、死を持って終われりではない。晩年になるほど加速していき、猛烈なスピードで死後の世界に飛び込んでいくのだ。なんとも爽快な養生ではないか。だから五木寛之さんがいうように、明日死ぬとわかっていてもするのが養生なのである。
私たちは虚空(こくう)より来たりて、虚空へ帰る旅人である。当然、旅情を纏(まと)うて生きている。旅情とは心のときめきだけではない。喜びもあれば、悲しみもあり、寂しさもある。さまざまな思いが交錯しているが、要するに、しみじみとした旅の想いであり、その根底にはホームカミング・家に帰るという想いがある。
そう、私たちは、いづれ虚空というふるさと帰るのだ。だから、ホームカミングであり旅情なのだ。私たちの内なる旅情を、ときに溢れださせ、溢れでた相手の旅情を敬いながら、ときに分かち合い、ときに共有しながら生きていくのではないだろうか。
さらに、私たちの内なる命は、虚空の大いなる生命(いのち)の一部なのである。だから私たちの命は、大いなる生命の流れに身を任せて、計(はか)らいも捨て、あるがままに生きるのが本来の姿であり、それが本当の養生なのではないだろうか。
養生食にしても、ウォーキングにしても、気功にしても、計らいにはちがいがない。世間では養生法とみなされている。これらの方法も、私たちが真の養生法を手にすることは、捨てられる運命にあるのだ。養生法とは、そもそも大いなる矛盾なのである。
人間まるごと万歳!
これは全くの私事です。
平成20年12月6日。
その日の朝も、「金魚8匹と、おかあさんのために励めよ」と、いつもどおりの冗談と笑顔で、会社に向かう私を見送ってくれたかみさんは、夕方、楽しい夢でも見ているような笑顔のまま、亡くなった。
医師の見立ては急性心不全だった。
つね日ごろ、私は「かみさんがいなかったら生きていけない」と思っていた。かみさんも「うちのお父さんは、私がいなくちゃダメなの、だから私の方が、ちょっとだけ長生きするの」と人にも話していた。そのかみさんがいない世界なんて、考えられもしなかった。
「かみさんがいない これから私は いったい どうしたらいいんだ」ということしか頭に浮かんでこなかった。一ヵ月くらいは、会社のことも、子供のことも、周りのことも、全くなにも頭になかった。
かみさんの実家は石川県の白山市白峰で、浄土真宗のメッカだ。年があけたら一冊の本「御文」(おふみ)が送られてきた。それまでの私は、仏教と聞くと葬式仏教としか思わず、宗教には全く興味もなかったが、いただいた「御文」を貪(むさぼ)るように何回も何回も読んだ。あとで、蓮如上人が書いたものだと知った。じゃあ、蓮如上人が生涯かけて伝えた浄土真宗ってどんなものなのか知りたくなった。
かみさんは以前、親鸞聖人や蓮如上人のことを話していたが、私には何のことだかわからなかった。のみならず、我がままな私は、横柄にも、自分ひとりの才覚で生きていると思っていた。そんな私に、かみさんは命をかけて教えてくれたのだろう。「自分の命ではない 生かされているいのち」であることを。
2500年ほどまえ、お釈迦さまが仏教を発見された。
お釈迦さまの覚りとは、生まれ死ぬ「いのち」への目覚めだと思う。私たちは「自分のいのち」と考え、いのちを私物化して生きている。お釈迦さまは、私のいのちではなく、「さまざまな因縁によって 生かされている いのち」であることを、親鸞聖人をとおして、蓮如上人をとおして、かみさんが命賭けて、私に教えてくれました。
人は死んでも、全てが無くなるのでないことがわかりました。大自然のいのちの一部が、私のいのちであり、かみさんのいのちであると知りました。いま、かみさんは目には見えませんが、いつも私と一緒にいてくれます。
すべてのことは、わがはからににあらず です。
奇跡的に人間として生まれた いのち を全うするのが、私に与えられた使命であると思います。
人身受けがたし いますでに受く 仏法聞きがたし いまここに聞く この身 今生において渡せずんば さらに いずれの生においてか この身を渡せん
後日談(平成24年 秋)
冒頭の、「人間まるごとホリスティック」でも書かせていただきましたが、亡くなったかみさんが慎吾くんが、娑婆世界にいる私に、この世の縁が尽きて阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただくようになるまで、安心の人生を歩めるように新たな伴侶を届けてくれました。
南無阿弥陀仏は、お念仏のみ教えは、私たちの苦悩の現実を見抜かれて、すべての衆生をもらさず生まれさせることのできる世界として、極楽浄土をご用意くださいました。
「倶会一処(くえいっしょ)」=倶(とも)に一つの処(ところ)で会える世界として、お浄土があることをお聞かせいただけなかったら、私は安心して人生を歩んで行けなかったと思います。ご縁に感謝です。
人間まるごと万歳!
1931年生まれの作家、曽野綾子さんは「老いの才覚」という著書の中で、「年のとり方を知らない老人が急増してきた!」「他人に依存しないで自分の才覚で生きるために」といって、実に痛快に、次のように書いている。
高齢であることは資格でも功績でもない。
私は、1931年生まれの、いわゆる後期高齢者です。後期高齢者医療制度が施行されたのは2008年からです。ご存知のように、この制度によって家族に扶養されている人を含め、75歳以上のすべての後期高齢者が保険料の負担を求められ、大多数が年金からの天引きで保険料を徴収されるようになったわけです。そのときテレビで、後期高齢者に当たる男性が、「我々を殺す気か」と腹を立てていました。番組を見ていた同世代の知り合いは、「情けないですな。戦争を体験してきた者が」と話していました。
制度に反対する人の中には「私たちはごろつきですか」と食ってかかる女性もいました。そういう、いかにも嫌らしい言い方をする。日本の年寄りは、戦前に較べると毅然(きぜん)としたところがなくなりました。
内閣府がまとめた「2010年版 高齢社会白書」によると、75歳以上の後期高齢者は2009年10月時点で1,371万人となり、総人口の11%を占めています。後期高齢者の数は増え続け、55年には75歳以上が26%を超え、現役世代(15歳から64歳まで)の1.3人で後期高齢者1人を支える社会になると予測されます。
そうなると、できるだけ若い世代に負担をかけさせないようにしようと思うのが当然ではありませんか。
しかし、実際はそうでもないらしい。「私は老人だから、○○してもらってあたり前」と思っている人のほうが多いようです。
駅に行くと、同行者が切符を買ってきてくれるのが当然のように、何もしない高齢者をよく見かけます。切符を渡されたら、「席はどこ?」と尋ね、切符の文字さえ読もうとしません。乗るべき電車がわかると、今度は、「お弁当はどうするの?」「何時につくの?」「その後、どうするの?」と質問攻めが始まります。「お弁当はどうするの?」は、明らかに「買ってきて」という意味が含まれていて、それに気づかない同伴者は、気が利かないということになる訳です。
買ってきて欲しいなら、素直にそう頼めばよい。気がつけ、というのは、高齢者は偉いと勘違いしているのではないでしょうか。
高齢者であるということは、若年である、というのと同じ一つの状態を示しているだけに過ぎません。それは、善でもなく悪でもなく、資格でも功績でもないのですから。
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