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◇はじめに
1.年表
2.親鸞の生きた時代
3.親鸞誕生から出家
4.比叡山での修行
5.越後への流罪
6.関東での布教
7.恵心尼のこと
8.帰京から入滅
9.蓮如
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◇はじめに

 私が親鸞聖人の教えを聞いてみたい、親鸞聖人の足跡をたどってみたいと思いたったのは、この世でいちばん大切だったかみさんが亡くなったからでした。
 それまでの私は資本主義の落し子を自負し、事業経営に心血を注いできました。計画どおり業績が上がると嬉しくなり成果が得られないと悩み、経営学を懸命に学び実践していました。
 平成20年12月6日、その日の朝もいつもどおりの笑顔で私を送り出してくれたかみさんは、夕方、急性心不全で亡くなりました。そのとき私の頭の中は、「大切なかみさんがいない」、「一体これからどうしたらいいんだ」ということしか浮かびません。それからの数ヵ月は、何にもしたくない、何も聞きたくない、何も見たくないという思いしかなく、ただただ呆けていました。
 年が明けたら、石川県白山市にあるかみさんの実家から「お文」が送られてきました。何も読みたくなかった私でしたが、「そうだ、この『お文』を100回読んでみよう」と思いたち、それが、これから私が一生かけて聴聞していくであろう、親鸞聖人とのご縁となりました。
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  INDEX
1.年表
2.親鸞が生きた時代
3.親鸞誕生から出家
4.比叡山での修行
5.越後への流罪
6.関東での布教
7.恵心尼のこと
8.帰京から入滅
9.蓮如

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1.年表  真宗聖典を参考に
西暦 和暦 親鸞 事 項
1173 承安3 1歳 親鸞誕生                 平安時代末期、武士の台頭
1175 安元1 3歳  源空、専修念仏義を唱える
1180 治承4 8歳  平氏、東大寺・興福寺を焼く     源頼朝・源義仲ら源氏の挙兵
1181 養和1 9歳 親鸞、慈円のもとで出家
1182 寿永1 10歳 恵心尼誕生                1185年壇ノ浦の戦いで平氏滅亡
1191 建久2 19歳  4年前宋に渡った栄西が帰国し、臨済宗を伝える
1192 建久3 20歳  源頼朝、征夷大将軍となる      鎌倉幕府成立、守護地頭を設置
1198 建久9 26歳  源空、「選択本願念仏集」撰述(建久8・元久1説もあり)
1200 正治2 28歳  幕府、念仏宗を禁止
1201 建仁1 29歳 親鸞、これまで堂僧を勤めた延暦寺を出て、六角堂に参籠、聖徳太子の夢告により源空の門に入る
1204 元久2 33歳 親鸞、「選択本願念仏集」を書写し、源空の真影を図画。また夢告により「綽空」の名を「善信」と改める
1206 建永1 34歳  興福寺衆徒。念仏停止を訴える
1207 承元1 35歳  専修念仏停止の院宣くだる。源空とその門弟処罰される
親鸞、越後へ遠流
 源空、土佐へ流罪、西意・性願・住蓮・安楽、死罪
1211 建暦1 39歳 親鸞、流罪を許される
 源空、流罪を許されて入京、東山大谷に住す
1212 建暦2 40歳  源空歿(80歳)              鴨長明、「方丈記」を書く
 高弁、「摧邪論」を著し、「選択本願念仏集」を批判
1214 建保2 42歳 親鸞、「さぬき」で三部経千部読踊を発願、やがて中止。常陸へ行く
1221 承久3 49歳  承久の乱。幕府、後鳥羽上皇を隠岐へ配流
 聖覚、「唯信鈔」を著す
1224 元仁1 52歳 親鸞、当年を末法に入って683年と「教行信証」に記す(教行信証草稿本完成説あり)
 延暦寺衆徒の奏請により専修念仏禁止される
覚信尼誕生
1227 嘉禄3 55歳  道元、「普勧座禅儀」を著わす。延暦寺の訴えにより、専修念仏禁止される
1230 寛喜2 58歳 親鸞、「唯信鈔」を書写
1231 寛喜3 59歳 親鸞発熱、病床で「大経」を読み、建保2年の「三部経読踊」の反省を恵信尼に告げる
1234 天福2 62歳  幕府、専修念仏禁止
1235 文暦2 62歳 親鸞、「平仮名唯信鈔」を書写
1238 歴仁1 66歳  「正法眼蔵隋聞記」成る
1239 延応1 67歳  「選択集」刊行
1241 仁治2 69歳 親鸞、「唯信鈔」を書写
1246 寛元4 74歳 親鸞、「唯信鈔」、「自力他力事」を書写  1244年頃、「平家物語」完成
1247 寛元5 75歳 尊蓮、「教行信証」を書写
1248 宝治2 76歳 親鸞、「浄土和讃」・「高僧和讃」を作る
1250 建長2 78歳 親鸞、「「唯信鈔文意」を著わす
1251 建長3 79歳 親鸞、書状により常陸の「有念無念」の論争を制止
1252 建長4 80歳 親鸞、書状により関東の「造悪無碍」の風儀を制止
親鸞、「浄土文類少聚鈔」を選述す
1253 建長5 81歳  日蓮、法華宗を唱える
1253 建長6 82歳 親鸞、「唯信鈔」を書写
親鸞、「後世物語聞書」を書写
1255 建長7 83歳 親鸞、「一念多念分別事」・「自力他力事」を書写
親鸞、「尊号真像銘文」(略本)を著わす
専信、「教行信証」を書写(専修寺本)
親鸞、「浄土三部経往生文類」(略本)を選述す
親鸞、「愚禿鈔」を書く
親鸞、笠間の念仏者の疑問に答え、自力他力について教示
親鸞、「皇太子聖徳奉讃」を作る
親鸞、火災にあう
朝円、親鸞の絵像(安城御影)を画く
1256 建長8 84歳 親鸞、「入出ニ門偈」を著わす
親鸞、「唯信鈔文意」を転写
親鸞、「四十八誓願」を著わす。「念仏者疑問」を転写
親鸞、善鸞を義絶する
親鸞、浄土論注」に加点
親鸞、「西方指南抄」を書写
親鸞、六字・八字・十字名号(本尊)を書く
親鸞、「往相回向還相回向文類」を著わす
親鸞、夢に「弥陀の本願信ずべし」の文を感得
親鸞、「一念多念文意」を著わす
親鸞、「大日本国粟散王聖徳太子奉讃」を作る
親鸞、「浄土三部経往生文類」(広本)を転写
親鸞、「如来ニ種回向文」を転写
親鸞、「上宮太子御記」を著わす
親鸞、性信・信仏に「信心の行者は諸仏と等し」と教示
1258 正嘉2 86歳 親鸞、「尊号真像銘文」(広本)を著わす
親鸞、「三部経大意」を書写
親鸞、「正像末和讃」を補訂
1259 正元1 87歳 親鸞、「選択本願念仏集」(延書)を書写
1260 文応1 88歳 親鸞、「浄土三部経往生文類」(広本)を転写
「弥陀如来名号徳」成る
 日蓮、「立正安国論」を著わす
1262 弘長2 90歳 親鸞、押小路南・万里小路東の住居で病臥、入滅
滅後
1263 弘長3 2年 恵心尼、覚信尼宛消息を書く(恵心尼消息この前後に書かれる)
1268 文永5 7年 恵心尼この頃歿           1274年元寇始る、蒙古、日本侵略を企て
1288 正応1 27年 河和田の唯円上洛。(「歎異抄」、この前後に成るか)
1231 元弘1 70年 覚如、「口伝鈔」を著す
1233 正慶2 72年 従覚、「末燈鈔」編
 鎌倉幕府滅亡
1343 康永2 82年 「親鸞伝絵」(康永本)成る     1333年鎌倉幕府滅亡、1338年室町幕府始る
1415 応永22 154年 蓮如誕生               1397年、金閣寺造営(北山文化の発達)
1431 永楽3 170年 蓮如、青蓮院で剃髪(17歳)
1461 寛正2 200年 蓮如、初めて「御文」を書いて門徒を教化(47歳)
1465 寛正6 204年 延暦寺衆徒、大谷本願寺を襲う。蓮如、近江堅田に移る
1467 応仁1 206年 延暦寺本院、本願寺を赦免し末寺とする。応仁の乱おこる
1468 応仁2 207年 延暦寺衆徒、近江堅田を攻める。蓮如、北国・東国の親鸞遺跡を訪ねる
1471 文明3 210年 蓮如、越前吉崎に坊舎を建てる(57歳)
1473 文明5 212年 蓮如、「正信偈」・「三帖和讃」開版。吉崎坊舎への諸人の出入を禁止
蓮如、11ヵ条を示して門徒を制戒。蓮如、身辺に不幸多く無常観深まる(59歳)
1474 文明6 213年 吉崎坊舎焼失。加賀本願寺門徒、富樫政親と組み、専修門徒及び富樫幸千代の軍と戦う
1475 文明7 214年 加賀の本願寺門徒、富樫政親と争う。蓮如、門徒に10ヵ条の制戒。
蓮如、吉崎を去り河内出口に着く(61歳)
1477 文明9 216年  この年、応仁以来の兵乱一応終わる
1478 文明10 217年 蓮如、河内出口を出て、山科に移る
1480 文明12 219年 山科本願寺御影堂上棟
1487 長享1 226年 加賀一向一揆激化
1488 長享2 227年 加賀本願寺門徒、富樫政親を滅ぼす。蓮如、加賀門徒の一揆を戒める。蓮如、幕府より加賀門徒の破門を迫られる
1489 延徳1 238年 蓮如隠居(75歳)              銀閣寺造営(東山文化の発達)
1490 延徳2 239年 能登で本願寺門徒、守護攻略を計る
1497 明応6 236年 大阪石山坊舎完成
1499 明応8 238年 蓮如歿(85歳)


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