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書物として残ってはいないが、飛鳥時代(6世紀終わりから約100年間)に、17条の憲法の制定・遣隋使の派遣・法隆寺の建立などをした聖徳太子(574年~622年)が、日本で最初に教育の大切さを提起した政治家といわれる。理想の現実と人間は平等という考え方で教育を説いた、日本で初めての教育思想といえるだろう。
鎌倉時代には、比叡山や高野山を中心とした仏教寺院や学識層に加え、武家階級も学校を整備し始めた。その後、朱子学・儒学・陽明学・国学・蘭学などが盛んになり、江戸時代には庶民の子弟向けの寺子屋も始まった。明治になると教育制度は確立し、近代国家へと歩み始めて、義務教育が法文化された。
その後、日本は第二次大戦の敗戦により連合国軍に占領され、アメリカ教育使節団報告書によるGHQの指令で、修身・日本歴史・地理の教育を廃止し、個人の自由と尊厳を守るアメリカ流の民主制教育、6・3・3制、男女共学へと移行してきた。
これら戦後教育の影響もあり、団塊の世代以降の日本人は、政教分離の名のもと宗教的涵養や倫理教育は排除され、今日より明日、明日より明後日と、もっともっとの拡大発展、物質文明至上主義に魅せられて、資本主義を謳歌してきた。他方、今では懐かしい言葉となった1960年代の安保闘争・全共闘運動・大学紛争の盛り上がりなどマルキシズムの洗礼を受けた人たちもあり、左右の唯物論のもとに成長してきた。
しかし、高度経済成長の担い手として日本経済を支えてきた団塊の世代が希求した、豊かな生活への憧れや明日への希望を与えた資本主義経済も、その宿命として内在する市場の暴走は避けがたく、1970年代のオイルショック、1990年代前半のバブル崩壊、2008年のリーマンショックに端を発した世界同時不況など、綻びも目だってきた。それまで勝ち組だった団塊の世代も、企業破綻・リストラ・家庭崩壊・熟年離婚にみまわれ、自殺者も増加している。
こういった、資本主義の落とし子のような、真に頼りとなし得ないものを信じて、あらゆる宗教に拒絶反応を示した団塊の世代ではあるが、定年退職をきっかけとして、仏教に興味を持つ人が増えてきた。
戦後教育改革の流れ
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聖徳太子の肖像 |
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GHQがいた日本生命ビル |
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タイムズスクェアのリーマン本社 |
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国宝:親鸞聖人の教行信証 |
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